五智如来石像 ごちにょらいせきぞう
五智如来公園を知っていますか?
そこに五智如来石像はいらっしゃいます。
ごちにょらいの石のおじぞうさんです。
すわったおじそうさんが、ぜんぶで10たいいらっしゃいます。
前に明治時代に作られたおじぞうさんが5たい、後ろ江戸時代に作られたおじぞうさんが5たいすわっています。
右がわから、「阿弥陀如来 あみだにょらい」、「釈迦如来 しゃかにょらい」、「大日如来」、「阿しゅく如来 あしゅくにょらい」、「宝生如来 ほうしょうにょらい」の順番で並んでいます。
一切の衆生を救うため四十八の誓いを立てた仏。浄土宗、真宗の本尊で、無限の慈悲と永遠の存在と徳を与えられる。この仏を信じ、その名を唱えれば死後ただちに極楽浄土に生まれると言われる。
引用元:十二支の御守本尊
仏教を開いた実在の人物です。古代インドの釈迦族の王子として生まれ、本名はゴータマ=シッダールタ。妻や子供もいました。釈迦如来とはその釈迦が悟りを得た姿をあらしています。
釈迦は、生まれたばかりのとき、7歩歩いたあと天地を指さし「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言われたことは有名です。
このときの姿をあらわしたものが、誕生釈迦仏と呼ばれています。この世で1番尊いのは自分であるという意味に誤解されがちですが、ひとりひとりが尊い命で聖なる使命を持ってこの世に生まれてきたという意味です。
29歳で出家し、35歳で悟りを開き真理に目覚めてからは、人々に説法を説いていたそうです。その後、釈迦は沙羅双樹の下で80歳で入滅(死去)したと伝えられています。
引用元:仏像ワールド
未年、申年、7月、8月生まれの人の守り本尊です。
密教世界観の中心に位する最高至上の絶対的存在を大日如来と名付けた。宇宙の根本仏とされ、この宇宙のすべての存在や現象は大日如来から現れるといわれている。
引用元:十二支の御守り本尊
五智如来石像のおはなし
五智如来石像は地元産の三輪石で二組作られています。
後列の一組目は、宝永二年(1705年)に田中城(西益津小学校周辺)の家老である脇田次郎左衛門正明が寄進したもの。
全列の二組目は、明治の中期、鬼島の森川重蔵と静岡市寺町の藤田猪野三郎が作ったものです。
五智如来石像には言い伝えがあります。
宝永二年に田中城主の内藤さんには、うまく話しのできないお姫様がいました。殿様と奥方様にとって、このことが大きな悩みでした。そんなある日、静岡の宝台院で徳川家の奥方に相談すると、「岡部宿にある誓願寺の御本尊である阿弥陀さまにお願いするといいよ」と教えてくれました。
そこで早速、田中城の奥方は家老を連れてこの寺に行きお祈りしました。お参りを続け、とうとう最後の日、お姫様は自由にお話ができるようになり、数年後には立派な大名のもとへ嫁ぎました。
殿様は、このことにいたく感激し、誓願寺へ田畑を寄進し、家老の脇田次郎左衛門正明は、この三輪石でつくった五智如来石像を寄進しました。
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光泰寺 こうたいじ
光泰寺は、梅林院の末寺にあたり、地蔵菩薩を本尊とする1590年代に開創された曹洞宗のお寺です。
曹洞宗に改宗するまえは、「十楽院(じゅうらくいん)」という真言宗のお寺だったそうです。
十楽院がいつごろ創られたかはわからないようですが、できてから数百年後に荒廃してだれも住職がいなくなってしまいました。
でも1590年頃、桂島の梅林院を退いた圓州舜光(えんしゅうしゅんこう)という元お坊さんが、荒れた十楽院を見て建て直そうと思いました。
その時、圓州さんはお年寄りにもかかわらず、荒れた本堂を片付け、いたんでいる壁や屋根を修理して、十楽院に入り、毎日修行を続け、勤行(ごんぎょう)というお経や礼拝のお勤めを欠かさなかったそうです。
そのような圓州さんの行持綿密(ぎょうじめんみつ)で真摯な姿を目にした人々は、みんな十楽院の再興に協力しようと準備し始めました。
寺を建てる場所も内谷村本郷に、そして名前を「光泰寺」とすることに決め、資金の募集にとりかかりました。
しかし、残念なことに、圓州さんは完成の前に1598年にお亡くなりになってしまいました。
そこで、圓州さんの弟子の大翁恵最(だいおうえさい・梅林院九世)は、師匠のこころざしを受け継いで、それから九年の歳月をかけて、1607年に本堂などを立派に完成させました。
この時、時代は戦国時代から江戸時代に移り変わっていました。
そして、さらに末寺となる南陽寺と多福寺(ともに現存)を創建しました。
曹洞宗に改宗、再興されてから70年ほどたった1670年頃、五世住職となっていた峯寿是雄(ほうじゅぜゆう)は、光泰寺の発展のため、宿場に近い内谷新町の現在の場所にお寺を移転しました。
江戸時代になり、世の中が安定するにつれ、東海道を通行する人々が増えていきました。
そのため、江戸幕府は、1635年に内谷村を加宿(かしゅく)に指定しました。
加宿に指定されるということは、旅籠の経営ができるようになることも含まれます。
光泰寺は、宿場の発展にあわせて興隆し、岡部を代表するお寺になっていきました。
1800年には、木喰上人(もくじきしょうにん)が訪れ、准胝観音像(じゅんていかんのんぞう)と聖徳太子像を彫り上げました。
2体とも現在は文化財に指定され、見学することができます。
1810年には、薬師堂が再建され、現代になっては、昭和61年に本堂の屋根を改修しました。
本堂、鐘楼、庫院、蔵、書院、薬師堂などが整った光泰寺は、高草山麓を背景に、禅寺らしい閑静なたたずまいを見せています。
本堂の左の方に行くと薬師堂があります。
1810年、十二世 家山江邦の代に建立され二百年の歳月を経たかやぶきのたてものでしたが、平成3年に立石神社例祭での不発花火の落下で火災となり、現在は瓦屋根となっています。
薬師堂内には、薬師瑠璃光如来、月光菩薩、日光菩薩、十二神将の諸尊菩薩が完璧な状態で祀られています。
また、天井の絵は、狩野休圓、為仙という絵師の作品だそうです。
本郷の古老の話では、この薬師堂は元は立石神社の本殿であったというこどだが、事実かどうかは不明だそうです。
これは、1797年に諸国巡排の際に安置したものだそうです。
薬師堂のさらにその奥の山肌にこの洞窟はあります。
中には、釈迦如来、穴地蔵、それに修験道の開祖役行者が祀られています。
これは、十楽院時代のものだと推定されます。
2体の木喰仏 県下最大と傑作中の傑作
いまから220ねんまえの1800ねん(寛政二年)に「もくじき」という人がおかべに来て、6たいの「もくじきぶつ」という「木」のぶつぞうをつくったんだよ。
そのうちの2たいが、こうたいじにある、「じゅんていかんのんぼさつりつぞう」と「しょうとくたいしりつぞう」だよ。
そのとき、もくじきさんは、83才のおとしよりだったんだけど、光泰寺の薬師堂(やくしどう)でもくもくと木をほったんだって。
このあとでてくる「しょうとくたいしりつぞう」は、なんと3日でほっちゃったんだって。すごいね。
こちらが「じゅんていかんのんぼさつりつぞう」だよ。
じゅんていかんのんぼさつりつぞう」は高さが214センチメートルもあってとてもおおきいぶつぞうだよ。
もくじきさんが志太地域でさいしょにはいったお寺がここなんだって。
1800年の6月13日に岡部宿に入り、6月28日にかんせいしたんだって。
もくじきさんにとっても大作なんだって。
しずおかけんの木喰仏(もくじきぶつ)のなかでは一番おおきいんだって。
いろんなぼさつさまのお母さんで、ながいきのごりやくがあるんだよ。
みんなのおじいちゃん、おばあちゃんがながいきするように、しっかりおいのりしようね。
こちらが「しょうとくたいしりつぞう」だよ。
たかさ111センチメートルのくすのきのぶつぞうだよ。
じゅんていかんのんぼさつりつぞうを6月28日にかんせいさせたあと、いったんほかのじょうらくいんというお寺に行って、びじゃもんてんぞうをかんせいさせてもどってきて、7月2日から5日のたった3日間でつくっちゃったんだって。 すごい!!
めいそうにふける しょうとくたいしの やさしいかおだちには、もくじきさんの円熟の境地(えんじゅくのきょうち)がにじみでていて、けっさくちゅうのけっさくといわれているそうだよ。
もくじきさんは、56才でたびにでて にほんぜんこくをまわり、93才でなくなるまでに、700体以上もの「もくじきぶつ」をぜんこくに つくったんだよ。
1年に20体くらいをつくりつづけていたんだね。
もくじきぶつは、いまのように知られていなかった昭和30年代くらいまでは、こどもたちのあそびあいてみたいなかんじだったんだって。
だから、かくれんぼのかくればしょだったり、おにごっこのにげばしょだったり、みんながみじかでしたしんでいたんだって。
だからすこしいたんでいるところがあるみたい。
おもしろいね。
いまでは、ぶんかざいとしてたいせつにまもられているよ。
これからもみんなで、宝物として大切にしていこうね。
キーワードは、レベル☆☆☆ 洞窟を探せ!!
正應院 しょうおういん
正應院(しょうおういん)のせつめい
しょうおういんは日蓮宗のお寺です。
もとは、永世3年(1506年)に伊豆韮山に建てられたお寺でしたが、昭和15年(1940年)に、日龍上人によって岡部に移転されました。
さんもん
山門は、日勇上人の生家・佐藤家の先祖供養のために、昭和57年に総ケヤキ唐様造りで建立されました。
本堂は、日蓮聖人がお生まれになって750年のお祝いと、日勇上人改宗50年の記念として、壇信徒の寄附丹誠を募り、昭和44年に3年間を費やして建立されました。
お釈迦様の慈悲に包まれた法華経の世界や、悟りを開いた仏様たちの境地を、日蓮聖人が魂を込め、文字をもって表現された大曼荼羅を、東海一の大きさを誇る大ケヤキ板に、京都の彫師清水末氏が彫り、それを御本尊としています。
多寶塔(たほうとう)という建物です。
ここの多寶塔(たほうとう)は、駿河路ひとつしかないものです。
日勇上人の第50回忌を記念して、信者が提案して、静岡県のスーパー大工松浦茂治氏に頼んで、昭和54年に和様素木造りで7年間をかけて建立されました。
日蓮宗(にちれんしゅう)とは
日蓮宗の宗祖、日蓮聖人は、相次ぐ自然災害や争乱などで混乱を極めた鎌倉時代に生き、幾多の困難に見舞われながらも、強い信念のもと、お釈迦さまの教えを日本の地でひろめた人物です。
人々の苦しみを取り除き、社会全体が幸せになるように願った日蓮聖人は、来世ではなく"今を生きる"ことの大切さを説き、法華経への信仰にその生涯を捧げました。
日蓮聖人が説く、お釈迦さまの功徳が集約された「お題目」の世界は、今もなお多くの人々の心の拠り所となっています。
お釈迦さまの教え(言葉)をまとめた「お経」の数は、「8万4千」といわれています。
その中でも、日蓮宗が一番大切にしている教えが「法華経」(正しくは『妙法蓮華経』)です。この法華経には、お釈迦さまの本当の心があらわされており、すべてのお経が含まれています。まさに、この世をイキイキと生きるための仏教のエッセンスがつまった"教えの集大成"とも呼べるものです。
日蓮宗の宗祖・日蓮聖人は、法華経こそが困難な時代を生きるあらゆる人々を救う最も尊いお経であると、説き続けられました。
引用元:日蓮宗~いのちに合掌~
キーワードは
大旅籠柏屋 おおはたごかしばや
おおはたごかしばやは、令和2年に日本遺産というものになったの知ってる?
江戸時代にはたくさんの大名が旅のとちゅうでとまって、やすんでいったんだよ。
いまでいうホテルだね。
はいったところに弥次さん喜多さんの人形がすわってるよ。
この人形は、とうかいどうちゅうひざくりげという有名なものがたりの登場人物だよ。
とってもおもしろいおはなしだから、ぜひよんでみよう。
となりには岡部宿公園や岡部宿本陣址もあるよ。
今年(令和2年)は10月3日から11月1日まで「竹あかり」をやっていたよ。
みんなはいったかな?
とってもきれいだったよ。
かしばやはむかしのひとのせいかつのようすがてんじされている、れきししりょうかんだよ。
キーワードは入り口の近くの施設とでも言っておこう。
15か所のキーワードポイント
ぜんぶで15このポイントがあるよ。
5こよりたくさんのキーワードをあつめよう。
そうすれば おおはたごかしばやで しょうひんがもらえるよ。
ごあいさつ
29日(日)15時までやってます!
ステキな郷土の宝物をめぐる秋晴れの探検は気持ちいいですよ!!
みなさま親子ふれあい郷土探検へのご協力ありがとうございます。
28、29日も気持ちのいい秋晴れ予報です。
ぜひ、ぜひ、私たちのすんでいる郷土の宝物探検におでかけくださいね。
(*^ワ^*)
こちらを参考にみんなで地域の物知り博士になろう!!
↓ ↓ ↓
親子ふれあい郷土探検のかいさいにあたってのごあいさつ
おかべしょうがっこうのみなさん、ことしはコロナウイルスでいろんなぎょうじがちゅうしになってしまいましたね。
そして、いつもたのしみにしているとおもうけど、ふれあいまつりもみんなであつまれなくなってしまいました。
(/ー\*) イヤン♪
なので、いろいろかんがえて、あたらしいゲームをやることにしました。
それが、親子ふれあい郷土探検(おやこふれあいきょうどたんけん)というゲームです。
(`・ω・´)キリッ
おかべしょうがっこうや、みんなのいえのちかくには、むかしからあるものが、よくみるといろいろあるんです。
そこで、こんかいは、いろんなところにキーワードをおいて、それをおやこでたんけんして、あつめてもらうことにしました。
( `д´)ゞ
ぜんぶで15このきーわーどがあるけど、5こあつめたら、かしばやで「そしな」がもらえます。
たんけんは、 こどもだけでいくと じこがあるとこまるので おとうさんでも、おかあさんでも、おじいちゃんでも、ばあちゃんでも、いえのひとといっしょにさんかしてください。
そして、じぶんのいえのまわりのことをいろいろみて ものしりになってくれるとうれしいです。
ワーイ♪\(^ω^\)( /^ω^)/ワーイ♪
参加してくださる保護者のみなさまへおねがい
紅葉の美しい季節となりましたが、皆様方におかれましては、益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。
日頃、PTA活動につきましては、多大なる御理解と御協力をいただき、深くお礼申し上げます。
今年度は、コロナウイルスの関係で、親子ふれあい祭りの開催が難しいため、代わりのイベントを計画させていただきました。
岡部小学校学区内には、いろいろな歴史・価値のある観光ポイントがあふれています。
それらを親子で訪れ、キーワード集めを一緒に行うことで、郷土の宝物を知っていただき、より一層の郷土への愛着とともに、親子の絆を深めていただければ幸いです。
つづいて、こちらをクリックしてください。
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追伸
サイトは概ね見られるようになっていますが、まだ情報を追加したいページがあります。
実施期間中も内容を追加、修正していきますので、お時間あるときに見ていただけると幸いです。
岡部図書館の資料と各施設での聞き取りで作成しました。写真も添えてありますので、どなたでも分かりやすい内容になっていると思います。
家族みなさんでご覧いただき、岡部小学校学区内の知識力向上にお役立てください。