岡部小学校 親子ふれあい郷土探検!!

「親子ふれあい郷土探検」にご参加いただきありがとうございます。親子でキーワードラリーを楽しみながら、郷土の話題で盛り上がっていただけましたら幸いです。(*^ワ^*)  このイベントの実施期間は令和2年11月15日(日)9時~11月29日(日)15時です。

五智如来石像 ごちにょらいせきぞう

五智如来公園を知っていますか?

そこに五智如来石像はいらっしゃいます。

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ごちにょらいこうえん

 

ごちにょらいの石のおじぞうさんです。

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ごちにょらい

すわったおじそうさんが、ぜんぶで10たいいらっしゃいます。

 

前に明治時代に作られたおじぞうさんが5たい、後ろ江戸時代に作られたおじぞうさんが5たいすわっています。

 

右がわから、「阿弥陀如来 あみだにょらい」、「釈迦如来 しゃかにょらい」、「大日如来」、「阿しゅく如来 あしゅくにょらい」、「宝生如来 ほうしょうにょらい」の順番で並んでいます。

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あみだにょらい

戌年亥年、10月生まれの御守本尊です。

一切の衆生を救うため四十八の誓いを立てた仏。浄土宗、真宗の本尊で、無限の慈悲と永遠の存在と徳を与えられる。この仏を信じ、その名を唱えれば死後ただちに極楽浄土に生まれると言われる。

 

引用元:十二支の御守本尊

 

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しゃかにょらい

仏教を開いた実在の人物です。古代インドの釈迦族の王子として生まれ、本名はゴータマ=シッダールタ。妻や子供もいました。釈迦如来とはその釈迦が悟りを得た姿をあらしています。

釈迦は、生まれたばかりのとき、7歩歩いたあと天地を指さし「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言われたことは有名です。
このときの姿をあらわしたものが、誕生釈迦仏と呼ばれています。この世で1番尊いのは自分であるという意味に誤解されがちですが、ひとりひとりが尊い命で聖なる使命を持ってこの世に生まれてきたという意味です。
29歳で出家し、35歳で悟りを開き真理に目覚めてからは、人々に説法を説いていたそうです。その後、釈迦は沙羅双樹の下で80歳で入滅(死去)したと伝えられています。

  

引用元:仏像ワールド

 

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だいにちにょらい

未年、申年、7月、8月生まれの人の守り本尊です。

密教世界観の中心に位する最高至上の絶対的存在を大日如来と名付けた。宇宙の根本仏とされ、この宇宙のすべての存在や現象は大日如来から現れるといわれている。

引用元:十二支の御守り本尊

 

 

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あしゅくにょらい

 

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ほうしょうにょらい

 

 

五智如来石像のおはなし

五智如来石像は地元産の三輪石で二組作られています。

後列の一組目は、宝永二年(1705年)に田中城(西益津小学校周辺)の家老である脇田次郎左衛門正明が寄進したもの。

全列の二組目は、明治の中期、鬼島の森川重蔵と静岡市寺町の藤田猪野三郎が作ったものです。

五智如来石像には言い伝えがあります。
宝永二年に田中城主の内藤さんには、うまく話しのできないお姫様がいました。殿様と奥方様にとって、このことが大きな悩みでした。そんなある日、静岡の宝台院で徳川家の奥方に相談すると、「岡部宿にある誓願寺の御本尊である阿弥陀さまにお願いするといいよ」と教えてくれました。
そこで早速、田中城の奥方は家老を連れてこの寺に行きお祈りしました。お参りを続け、とうとう最後の日、お姫様は自由にお話ができるようになり、数年後には立派な大名のもとへ嫁ぎました。
殿様は、このことにいたく感激し、誓願寺へ田畑を寄進し、家老の脇田次郎左衛門正明は、この三輪石でつくった五智如来石像を寄進しました。

 

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