光泰寺 こうたいじ
光泰寺は、梅林院の末寺にあたり、地蔵菩薩を本尊とする1590年代に開創された曹洞宗のお寺です。
曹洞宗に改宗するまえは、「十楽院(じゅうらくいん)」という真言宗のお寺だったそうです。
十楽院がいつごろ創られたかはわからないようですが、できてから数百年後に荒廃してだれも住職がいなくなってしまいました。
でも1590年頃、桂島の梅林院を退いた圓州舜光(えんしゅうしゅんこう)という元お坊さんが、荒れた十楽院を見て建て直そうと思いました。
その時、圓州さんはお年寄りにもかかわらず、荒れた本堂を片付け、いたんでいる壁や屋根を修理して、十楽院に入り、毎日修行を続け、勤行(ごんぎょう)というお経や礼拝のお勤めを欠かさなかったそうです。
そのような圓州さんの行持綿密(ぎょうじめんみつ)で真摯な姿を目にした人々は、みんな十楽院の再興に協力しようと準備し始めました。
寺を建てる場所も内谷村本郷に、そして名前を「光泰寺」とすることに決め、資金の募集にとりかかりました。
しかし、残念なことに、圓州さんは完成の前に1598年にお亡くなりになってしまいました。
そこで、圓州さんの弟子の大翁恵最(だいおうえさい・梅林院九世)は、師匠のこころざしを受け継いで、それから九年の歳月をかけて、1607年に本堂などを立派に完成させました。
この時、時代は戦国時代から江戸時代に移り変わっていました。
そして、さらに末寺となる南陽寺と多福寺(ともに現存)を創建しました。
曹洞宗に改宗、再興されてから70年ほどたった1670年頃、五世住職となっていた峯寿是雄(ほうじゅぜゆう)は、光泰寺の発展のため、宿場に近い内谷新町の現在の場所にお寺を移転しました。
江戸時代になり、世の中が安定するにつれ、東海道を通行する人々が増えていきました。
そのため、江戸幕府は、1635年に内谷村を加宿(かしゅく)に指定しました。
加宿に指定されるということは、旅籠の経営ができるようになることも含まれます。
光泰寺は、宿場の発展にあわせて興隆し、岡部を代表するお寺になっていきました。
1800年には、木喰上人(もくじきしょうにん)が訪れ、准胝観音像(じゅんていかんのんぞう)と聖徳太子像を彫り上げました。
2体とも現在は文化財に指定され、見学することができます。
1810年には、薬師堂が再建され、現代になっては、昭和61年に本堂の屋根を改修しました。
本堂、鐘楼、庫院、蔵、書院、薬師堂などが整った光泰寺は、高草山麓を背景に、禅寺らしい閑静なたたずまいを見せています。
本堂の左の方に行くと薬師堂があります。
1810年、十二世 家山江邦の代に建立され二百年の歳月を経たかやぶきのたてものでしたが、平成3年に立石神社例祭での不発花火の落下で火災となり、現在は瓦屋根となっています。
薬師堂内には、薬師瑠璃光如来、月光菩薩、日光菩薩、十二神将の諸尊菩薩が完璧な状態で祀られています。
また、天井の絵は、狩野休圓、為仙という絵師の作品だそうです。
本郷の古老の話では、この薬師堂は元は立石神社の本殿であったというこどだが、事実かどうかは不明だそうです。
これは、1797年に諸国巡排の際に安置したものだそうです。
薬師堂のさらにその奥の山肌にこの洞窟はあります。
中には、釈迦如来、穴地蔵、それに修験道の開祖役行者が祀られています。
これは、十楽院時代のものだと推定されます。
2体の木喰仏 県下最大と傑作中の傑作
いまから220ねんまえの1800ねん(寛政二年)に「もくじき」という人がおかべに来て、6たいの「もくじきぶつ」という「木」のぶつぞうをつくったんだよ。
そのうちの2たいが、こうたいじにある、「じゅんていかんのんぼさつりつぞう」と「しょうとくたいしりつぞう」だよ。
そのとき、もくじきさんは、83才のおとしよりだったんだけど、光泰寺の薬師堂(やくしどう)でもくもくと木をほったんだって。
このあとでてくる「しょうとくたいしりつぞう」は、なんと3日でほっちゃったんだって。すごいね。
こちらが「じゅんていかんのんぼさつりつぞう」だよ。
じゅんていかんのんぼさつりつぞう」は高さが214センチメートルもあってとてもおおきいぶつぞうだよ。
もくじきさんが志太地域でさいしょにはいったお寺がここなんだって。
1800年の6月13日に岡部宿に入り、6月28日にかんせいしたんだって。
もくじきさんにとっても大作なんだって。
しずおかけんの木喰仏(もくじきぶつ)のなかでは一番おおきいんだって。
いろんなぼさつさまのお母さんで、ながいきのごりやくがあるんだよ。
みんなのおじいちゃん、おばあちゃんがながいきするように、しっかりおいのりしようね。
こちらが「しょうとくたいしりつぞう」だよ。
たかさ111センチメートルのくすのきのぶつぞうだよ。
じゅんていかんのんぼさつりつぞうを6月28日にかんせいさせたあと、いったんほかのじょうらくいんというお寺に行って、びじゃもんてんぞうをかんせいさせてもどってきて、7月2日から5日のたった3日間でつくっちゃったんだって。 すごい!!
めいそうにふける しょうとくたいしの やさしいかおだちには、もくじきさんの円熟の境地(えんじゅくのきょうち)がにじみでていて、けっさくちゅうのけっさくといわれているそうだよ。
もくじきさんは、56才でたびにでて にほんぜんこくをまわり、93才でなくなるまでに、700体以上もの「もくじきぶつ」をぜんこくに つくったんだよ。
1年に20体くらいをつくりつづけていたんだね。
もくじきぶつは、いまのように知られていなかった昭和30年代くらいまでは、こどもたちのあそびあいてみたいなかんじだったんだって。
だから、かくれんぼのかくればしょだったり、おにごっこのにげばしょだったり、みんながみじかでしたしんでいたんだって。
だからすこしいたんでいるところがあるみたい。
おもしろいね。
いまでは、ぶんかざいとしてたいせつにまもられているよ。
これからもみんなで、宝物として大切にしていこうね。
キーワードは、レベル☆☆☆ 洞窟を探せ!!