兜堰堤 かぶとえんてい
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100年を超えても静かに活躍し続ける「兜堰堤(かぶとえんてい)」
明治43年8月7日~8日の豪雨によって、志太郡一帯の山地では、1200箇所を超える山崩れが生じ、下流の平野も未曾有の大水害に見舞われました。
昭和44年1月には、静岡県により、この地域の災害調査結果が報告されました。
このような大災害が二度と起こらぬように、当時の岡部町長の桑原徳太郎氏と当時の静岡県議会議員であった仁科梅太郎氏の働きかけによって砂防工事が行われました。
砂防工事は明治45年(1912)から行われ、1.2kmの間に大小8基の堰堤と2基の流路工を整備して、わずか3年後の大正3年(1914)に完成しました。
その工法は、オランダの土木技師ヨハネス・デ・レーケによって日本にもたらされたロックヒルダム(巨石積堰堤)という方式、ヨハネス本人から直接指導を受け工事を行いました。
当時の工事は人の手や馬を使って行われ、大量の大石は、ソリやショイコで運びました。
堰堤の石集めは、「集落内なら、どこの山の石を採ってもよい」との申し合わせがあり、30貫目(112.5キログラム)の石を運ぶと駄賃が貰えたそうです。
この大石を使って荒れた沢に台形の石組を築いた後、周りを土砂で埋め、その上に更に石組みを築いていきました。
ともあれ、道路や機会のない時代、すごい大工事であったことが想像されます。
そうして築いた堰堤の形が「兜(かぶと)」に似ていることから、「兜堰堤」と呼ばれています。
木和田川では、100年以上経過した現在でも全8基の堰堤がすべて静かに活躍してくれています。
木和田川の砂防堰堤群は、全国的にも貴重な歴史的砂防施設であるため、静岡県では平成元年から平成12年にかけて「木和田川砂防環境整備事業」・「砂防学習モデルゾーン事業」を実施し、県民に憩いと安らぎの場を提供するとともに、砂防事業に関心を持ってもらえるよう“砂防学習ゾーン”として整備しました。
これにあわせ、当時の岡部町は、平成2年から平成8年にかけて「つたの細道公園整備事業」を実施し、宇津ノ谷古道の散策や砂防学習・自然とのふれあいの拠点として整備しました。
そして国は、平成14年・2002年6月25日に「木和田川砂防1号堰堤から8号堰堤」の8基を、同年8月21日には「木和田川1号・2号流路工」の2基を登録有形文化財として登録しました。
1号堰堤
つたの細道公園のトイレの横の吊り橋の上流にあります。
2号堰堤
つたの細道公園の太鼓橋の下流にある一番目立つ堰堤です。
つたの細道 岡部側登り口
3号堰堤
つたの細道の50mくらい上流にあります。
4から8号堰堤と1・2号流路工には歩かないと行けません。
至る所にイノシシの遊んだ形跡があります。
口笛を吹きながら、手をたたきながら行ってきました。
ダニ対策を忘れずに。
5号堰堤からは遊歩道ではなく流路を、足元に注意して歩きました。
4号堰堤
車で行ける道の突き当りの上流にあります。ここから先は遊歩道です。
5号堰堤
6号堰堤
7号堰堤
8号堰堤 と 流路工