十輪寺 じゅうりんじ
宝珠山 十輪寺は、焼津市坂本にある林叟院の末寺にあたり、延命地蔵菩薩を本尊とするお寺です。
岡部町三輪は、かなり古い時代から人々が住みついた村でした。
十輪寺の目と鼻の先には、神神社(みわじんじゃ)が鎮座しています。
十輪寺は、高草山の麓にあり、茶畑と蜜柑畑に包まれた落ち着いた雰囲気の山寺です。
お寺の歴史は、1610年頃までは、平僧地という格の低い小さなお寺でした。
創られた年月や当時の宗派はわかりませんが、宝珠山という山号にまつわる伝説は、焼津神社や神神社ともかかわっているので、実は結構古いのかもしれません。
三輪の地には、神神社開創当時から「五社五苗(ごしゃごみょう)」と呼ばれる五つの氏神様と五軒の旧家があったと言われていますので、昔の十輪寺は、小さなお寺といえどもこれらの人々に篤く支えられていたことでしょう。
戦国時代が終わり、江戸時代に移り変わった元和年間1620年頃、林叟院の照山元春師の弟子の嘯山虎公(しょうざんこうこう)和尚が十輪寺の住職になりました。
この嘯山和尚は、仏様を敬う心がとても篤く、村人の中に溶け込んで皆から慕われ、尊敬されていたそうです。
嘯山和尚は、この十輪寺を曹洞宗の立派なお寺として再興したいと一念発起し、村の有力者の協力をいただき、1624年9月に本堂の再建を果たし、師匠の林叟院九世である照山元春を迎え開山しました。
こうして、十輪寺は、曹洞宗林叟院の末寺として、平僧地から法地寺院に格上げされ、立派に再興されました。
その後十輪寺は、三輪村の人々のこころのよりどころとして発展してきましたが、1700年頃と1780年に諸堂を全焼、1885年・明治18年には、庫裡を焼失するという3度の火災に遭ってしまいました。
しかし、その度に檀信徒の篤い信仰に支えられ、常に消失前より良い伽藍を再建してきました。
戦後まもない昭和24年には、耐久性の高い造船用のケヤキ材によって本格的な山門を再建しました。
昭和40年代からは、村内に大規模な団地が造成され始めたため、将来を見通し昭和52年に霊園墓地を造成、さらに昭和55年には、開山堂位牌堂を新築し、境内地も整備されました。
平成13年からは「もくれん」の植樹に着手し、今では毎年3月になると、テレビや新聞の恒例の風物詩として報道され、多くのお客様が訪れる藤枝市の観光ポイントになっています。
平成27年には、彫刻家杉村孝氏の作品を配した「地蔵菩薩 遊化の庭(ゆげのにわ)」が完成しました。
十輪寺正面に鎮守山という3月になるとモクレンで覆われる場所があります。
その頂上から志太平野の良好な眺望が楽しめます。
目の前には神神社の鎮守の森が見えます。
キーワードは本堂のなかに! しずかに見させてもらってね。コロナ対策もお願いします!!