神神社 みわじんじゃ
神神社は、大物主神(おおものぬしのかみ)、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)、葛城一言主神(かつらぎひとことぬしのかみ)を祭神とした、古代から栄えてきた由緒ある神社です。
神神社のはじまりは、644年4月です。
東国に病気が大流行し、人々が苦しみ、なすすべもありませんでした。
その時の皇極天皇は、先代の同じような状況で疫病を鎮めたという吉例にならって、その例の神職であった意富多多根古命(おおたたねこのみこと)の子孫である三輪四位(みわしい)を神主として、この三輪の里に三輪の神(大物主神)をお祀りしたところ、疫病がたちどころに治まり、東国の人民を救っていただいたのが神神社の創建の由来だということです。
三輪という地名もこの「神神社」に由来するものです。
「神」を「ミワ」と読むのは、古代大和で神と言えば三輪の神をさすことから、自然にそう読まれるようになったと言われています。
本社である大神神社に対して、こちらは分社であるため、「大」をとって「神神社」と
称しました。
本社の大神神社は、日本で一番古い神社であると言われており、三輪鳥居(三つ鳥居)の奥は、誰も入らない、木を切ることもしない原生林で、これが神様のお住まいであるから、一般的な神社のように本殿がなく、古代の祭祀のやり方が、今も続いています。
ここ神神社でも昔は本殿がなく、三つ鳥居の奥の岩境が古来からの祭祀場でした。
そんななか、古来からの山を祀るという形態を改めて、1820年頃に本殿を建て祭祀が始まったと推定されています。
ここ神神社には、特筆すべき点が二点あります。
1点目は、三つ鳥居が存在することです。
この鳥居は、一般の鳥居と機能が全く異なります。
一般の鳥居は、人間がくぐるためにありますが、三つ鳥居は、神界と人間界を区切る機能をもっている、つまり人間がくぐってはいけない鳥居なのです。
そして、静岡県内にはここにしか存在しておらず、全国の三輪系の神社に問い合わせても三つ鳥居を確認することはできなかったそうです。
全国でも、三つ鳥居が形として、機能的にも現存しているのは、大和の大神神社とここだけかもしれません。
ただし、本家の三つ鳥居は、屋根とお扉がついており、国の重要文化財ですが、こちらは、自然の丸太を組み合わせた原初的で素朴な造りで、十二、三年で立て替えを行っています。
2点目は、山宮祭(やまみやさい)という山を祀る古代祭祀が今と昔と変わらず行われていることです。
明治初年に国によって、祭祀の統一化が図られましたが、ここでは現在も古代祭祀の形式をそのまま行われており、藤枝市の無形文化財に指定されています。
ここ神神社が栄えてきた様子は、様々なことから推定することができます。
平安時代初期に制定された国家の法制書である「延喜式」神名帳に登載された神社であること。
昔は高草山を三輪山と称し、朝比奈川の南側の広幡地区には大神神社がある大和と同じ「上当間」「下当間」という「当間」の地名があり、そこに一の鳥居があったとの記述が国立国会図書館デジタルコレクションの駿国雑志に見られるそうです。
また、昭和38年の耕地整備事業の時には、神神社の南正面の焼津市との境付近から、直径1メートル近くもある木材の一部が発掘され、鳥居前という小字名からも、神神社の二の鳥居の根ではないかと推定されたとのことです。
また、神社の西北方向約300メートルの三輪向原地区に、昭和49年に直径30メートルの円墳が発見されました。
推定される年代は7世紀後半近いことがわかり、神神社の始まり644年頃と重なるため、神神社を祀った人の墓であると推定されました。